与謝野晶子とその健康
狭心症と運動1 (与謝野晶子)
与謝野晶子は、歌人。明治11年12月7日、大阪府堺(
==========================
彼女は、昭和9年の正月、那須に滞在していたときに狭心
『資料 与謝野晶子と旅』(沖 良機/
また、このときに詠んだ歌は次の2首です。
「いと寒し崑侖山に降る如し病めば我がある那須野の雪も
『定本与謝野晶子全集 第7巻』 歌集7「いぬあ
「むらさきに春の風吹く歌舞伎幕うしと思ひぬ君が名の皺
『定本与謝野晶子全集 第2巻』 歌集2 「佐
==========================
狭心症とは、発作的に胸の痛みや圧迫感などの症状を起こ
==========================
狭心症に気づいたら、どうしたらと考えてみて、与謝野晶
@ 自分自身で狭心症の症状を自覚したらどうするのがい
狭心症を思わせる症状を自覚した場合は、なるべく早く専
また、診断が決まるまで症状をおこすような運動は避け、
A 狭心症と診断されたらどうする?
前述の発作を予防する治療を行うとともに、狭心症のおも
(1)喫煙はただちに中止
(2)高血圧、高脂血症(コレステロール、中性脂肪)、
(3)肥満している人は食事の是正と適度の運動に心がけ
(4)適度の運動は精神的ストレスを減少し、冠状動脈の
======================
そこで、与謝野晶子を考えてみましょう
(1) 煙草はたくさん吸っていたとおもいます。
明治44年(1911)9月、日本初の婦人文芸雑誌『青
(2)食事は、与謝野晶子は和菓子屋のうまれ。いまでい
(3)与謝野晶子の体型をみて、あきらかに肥満であった
(4)愛情が深く、ストレスのはけ口がスポーツではない
=====================
運動は狭心症のあとでも重要
最近までは心臓の悪い人に運動は良くないと考えられてき
運動療法というのはいろいろな病気の場合に治療法の一つ
さて、心臓病では、虚血性心疾患つまり狭心症とか心筋梗
虚血性心臓病は、与謝野晶子の時代から急速に研究すすむ
虚血性心臓病というものをもう一度考えてみますと、19
原因には明らかに運動不足があったということも、このこ
心臓病では運動はしてはいけない?
医学が進歩していろんなことが分かって来ますと、「心臓
1952年心臓のリハビリテーションの誕生
与謝野晶子が死去したあとの時代に、心臓のリハビリテー
まず歩くこと
いまの循環器内科の基本は、それにはまず歩くということ
適切な運動処方
運動処方をする場合に一番もとになるのは〈心拍数〉です
与謝野晶子には、運動処方が必要なのです
ストレスと食生活、肥満から狭心症をおこした与謝野晶子
彼女の場合は、まず減量します。食事を減らします。そし